最近は調査と検討をしてる。もはや書き直す以外にどうしようもない気がしてる。
世の中には、成長させていく価値のあるコードとないコードがある。成長させる価値のあるコードというのは大枠の設計や思想がまともなもの。こういうものは、なんとかしようという気が起こる。
しかし、大枠で外してるようなものは、どうしようもない。本当に、こういうソフトウェアは多い。レベルの低いソフトウェアエンジニアばかりであると感じる。
おれは、浅野中進学はガイジという価値観で育ったため、他人に対する評価が一般とは異なる。浅野も、中学受験界隈では難関、十分に優秀とされるらしいのだ。しかしおれとしては、麻布栄光に落ちたガイジがいくところという認識だ。
浅野も、高校受験を募集すれば偏差値73くらいはあるだろうか。だからそれ以下は全員ガイジだ。そういう歪んだ価値観がある。
こうした民草がどれほど頭の悪いものなのかわからず、一目でゴミクズだとわかるコードを持って来られた日には、こいつは事業を破壊しようとしてる荒らしなのだろうくらいしか思えない。故にいつもイライラしてる。
一方で優秀な人は好きだ。麻布の同級生とか。話の理解が早く、論理的にクリアな話し方をしてくれる。だから彼らは好きだ。
頭の悪い人は、とんでもないコードを書く。このことはよくわかった。おれと彼らの間には才能の差もあれば圧倒的な経験の差もあるのだろう。では、彼らにチャンスを与えるべきかというと、おれはそうは思ってない。
優秀なやつは勝手にやって勝手に伸びる。これがおれの持論だ。おれもそうしてきた。
だから、全時間を犠牲にして自分のソフトウェアを作り上げたり、そういう修行を積もうとしない人間に、仕事で多少チャンスを与えたところで大して伸びない。また、その程度の伸びでは現代においては価値をなさない。
麻布の卒業生は天を見て仕事をするという。他人に言われたからやるではなく、何が最前なのかを常に考え、それに向かって勝手に動くということだ。麻布卒は生まれつき頭が良い上にどんどん伸びる。その前では平凡な人間など、いても邪魔になる。ゴミコードにコメントすることすら、無駄だからだ。おれは新卒の時点ですらゴミコードは書かなくなってた。結局、才能と修練が足りないのだよ。